自選 村上龍 名文集

ムダなことは犯罪なのだ、別にやる必要のないこと 、それがなくても生きのびていけることをやり続けるのはよくないことで、他人のエネルギーを奪う、ひとかけらの才能もない連中が音楽をやり、音楽なんかとは本当は一生無縁なはずの連中がそのCDを買いそのコンサートを聞いて立ち上がって踊る、才能というのは危機感に支えられた意志のことで、何となく毎日がつまらないから二十四回ローンでYS99を買ってみようということなんかじゃない、オレを被うすべてが恥ずかしくなるほどの巨大なムダだった、その中から何かが生まれてくる可能性のあるムダじゃなくて、ムダだということを知らずにやり続けるムダだから、そこには何もない、浪費ですらない、ただのごまかしだ、新興宗教の方が露骨な分まだましだ、オレがやっていたことは何にもならないことではなくて、嘘で、やってはいけないことで、犯罪だったのだ、ふざけたようなことを真剣にやっているようにごまかすことは、犯罪だ、反町はそう思った。そして、ジュンコのような女がなぜ存在するのかが、わかったような気になった。具体的な何かの信号を受けてそれを無視せずに、意志を持って生きのびてきた人間がいるということだ。そいつらは自覚できないまま、自分の中に生まれた力にとまどっている。・・・・・・進化。

そう呟いた時に、セロリを腕に抱えたジュンコが戻って来た。 

                                       P110-111

 

 

・・・どれだけ必死に捜しても言葉が見つからない時がある、誰かに、できれば全世界に向けてあることを伝えたいのに、その言葉がないっていう時が必ずあるもんなんだ、楽しいことだったら別にどうでもいいよ、言葉なんか要らないっていうのが楽しいってことなんだからさ、でも、辛い時は違う、それは一人で言葉の違う国へ行って病気になってみればわかる、そいつのやるべきことは医者を捜すことだが、言葉を憶えることの方が大事かも知れない。そういうことがこの国はわかりにくい、言葉を捜すってことの大切さもわかりにくいし、必死になって言葉を捜さなくては伝わらない苦しみがあるってこともわかりにくい、それは誰もが同じ考えのもとに生きているとされているからで、個人よりも、わけのわからないその同じ考えを持った集団の価値観が大切にされてしまうからだ、特に子供の頃は、誰も自分の言葉を持つことができない、だから言ってみれば子供はみんな軽い神経症なんだ、その神経症を治そうとせずにほとんどの人は、より大きな神経症的な集団に同化することで解消しようとする、子供のノイローゼを、例えばよい学校や会社へ入れることで治そういう考え方だ、だけど本当はそんなことには何の意味もないというタイプの子供もいて、でも彼らは生きていかなくてはいけないから、言葉の代わりに何か導入する、それは絵や音楽という表現だったり、あるいは自閉的になったり、そしてある人にとってはサナダ虫という考え方だったりする、

                                  P133-134 

 

「本当に難しいんだな、いや、普通に接するってことがさ、オレは何とかできてるような気がするんだけど、家の他の連中はまったく昔のままだ、遠まきにして、恐る恐るってとこだ、昔と同じように、普通に接するってのは本当に疲れる、昔はどうだったかって真剣に思い出したり、考えたりしなきゃいけない。腫れものに触れるようにって態度はものすごく簡単なんだよな、腫れものっておできのことだろう?人間を平気でおできにしちゃうんだから、考えたら楽に決まってるよな。日本人は誰かを仲間外れにすることにかけちゃ天才だね。考えてみりゃ、アメリカなんかと違って仲間しかいないんだから。                          P301

 

それは、ビートルズヴェルヴェット・アンダーグラウンドやトパーズと自分がプロモートしている日本のバンドを正直に比べてみるだけではっきりした、たぶんそういうことをはっきりさせることからしか何も生まれないはずなのに、ずっと曖昧なままだった、その曖昧なものに包まれて大部分の人が一生を終える、それが幸福と呼ばれている。ジュンコという女の子はその曖昧さが我慢できなかった、曖昧さに対抗するために、サナダ虫、という異物を自分の中に設定した。ジュンコのように、また十ヶ月前のオレのように、その曖昧さに亀裂が突然入ることがある、亀裂は必ず突然に入って曖昧な霧が晴れてしまい、リアルなものが姿を現わす、姿を現わすものは何ものでもない自分自身だ、そういうことのすべてが現代人の不安とか生きがいの喪失みたいな言葉で片付けられる・・・反町は異常でとり返しのつかないことが進行しているのだと確信した。十ヶ月前のオレや、ジュンコや中山や「ねえさん」のような人間は確実に増えていると思った。亀裂は、すべての人を待ち受けているはずだからだ。 P315-316

 

それは強烈な自己嫌悪の形で現れた。強くて、ピンポイントで自分の中の最も嫌いな部分を刺激してくるような、センチメントがまったく介在しない純粋な自己嫌悪だった。そんなものに人間が耐えられるわけがない。絶対に耐えられないから、無意識のうちに自己嫌悪に対抗できるものを捜すようになる。そういう時は、捜している、という実感がない。そういう状態のことを、追い詰められたことがない人間は、本能的と呼んでごまかす。使おうと思えばいつでも使用可能な本能というわけだ。本能なんかじゃない。それは、ニュートラルな状態では決して現れることのない意志だ。自分の肉体と意識が、自意識の及ばないところで合致して生まれる正統的な意志。神秘的な特別の何かが自分に加わるという意味ではなく、自分の肉体と意識がこれ以上はないという形で合致するという意味で、その意志は「自分」よりもエネルギー量が大きい。昔の人間達はそれを「大いなる意志に導かれて」という風に表現したりしたが、それはもちろん自分に属するものなのだ。その意志は、自己嫌悪を強制し、対抗策を捜させるわけだが、対抗策というのはそういう場合、一つしかない。自分の中の最優先事項に目を向けることだ。ピンポイントで襲ってくる自己嫌悪に対抗できるのは、自分が最も大切にしてきたものだけだ。人間によっては、それが反社会的なものである可能性もある。だからある種の犯罪は常に強い興味の対象になるわけで、それによって勇気を得る場合だってある。

                                     P289-290

 

ストレンジ・デイズ (講談社文庫)

ストレンジ・デイズ (講談社文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/08/10
  • メディア: 文庫