国家=檻だと仮定してみる

 

 国家=檻だと仮定します。

 この檻について、動物園の檻をイメージしてもらってもいいし、刑務所の檻でもいいです。

 哲学や思想に詳しい人なら、マックス・ウェーバーの「鋼鉄の檻」でもいいし、ミシェル・フーコーの「監獄」でもいいです。

 

 国家=檻とみなすと、個人と国家の関係について分かってくることがあります。

 今日はそれについて書こうと思います。

 

1 野生のライオンと動物園のライオン

 野生のライオンと動物園のライオン、どちらが幸せなんでしょうか?

 

 野生のライオンは草原で自由にのびのび生きているように思えます。

 動物園のライオンは檻のなかで退屈しているように見えます。

 

 僕には野生のライオンのほうが幸せに見えます。動物園のライオンより自由でいきいきしているようにみえます。

 

 それでは、動物園のライオンは不幸なんでしょうか?

 ライオンの寿命を調べてみますと、野生のライオンの寿命は10~15年、動物園のライオンは20~25年でした。動物園のライオンのほうが長生きなのです。

 

 野生のライオンは常に生死と隣り合わせです。獲物も捕まえられるか分かりません。

 一方動物園のライオンは必ずエサを与えてもらえますし、何かに襲われる可能性は0です。

 

 動物園のライオンだって必ずしも不幸とはいえないでしょう。

 

2 ちきりんさんの考える個人と国家

 先日有名ブロガーのちきりんさんのブログを見ていますと、個人と国家について書かれた記事がありました。

 

 

chikirin.hatenablog.com

 

 ちきりんさんがチューク諸島(ミクロネシア連邦のチューク州)という日本の南にある島に旅行に行って感じたことが記事になっています。

 

 かいつまんでまとめると、

・チューク州の人口は200以上ある島のすべてを足しても5万人の小さな州

・南国なのでタロイモなどの食べ物がどんどん育ち食べ物に困らない

・働いていない大人も多く、一生税金を払わない

・島には店などがないので何も買えない、つまりお金を持つ必要がない

・子どもも大人も一生遊んだり、おしゃべりしたり、散歩したりして過ごす

・道路が舗装されていない、水たまりがそこらじゅうにできている

・しかし誰も問題に思わないので補修されることはない

 

 チューク州はだいたいこんな感じの州らしいです。

 チューク州の人たちにはおそらく「国家」の概念がない、とちきりんさんはいいます。

 

 ちきりんさんは「国ってそんなに大事なもの?」と考えている人です。

「女性は子どもを産む機械だ」とか「同性愛者は子どもを生まないから生産性がない」とか言ってしまう政治家がのさばっているのが日本です。

 彼女の眼には、国家の概念がないチューク州のほうが魅力的に映ったでしょう。

 

3 国家=檻と仮定する

 チューク州は僕にとっても魅力的です。

 行ったことはありませんが、そこにはゆったりとした時間が流れ、人々はお金がなくても将来を悲観することがないのでしょう。人々が自由にのびのび暮らしているのが容易に想像できます。

 うらやましいです。

 

 ぼくたち日本人は動物園のライオンのように、檻のなかで飼育されているのではないしょうか。

 動物園のライオンは、園を訪れる観客の目を楽しませるために飼育されています。

 ライオンは自由を奪われ退屈しているように見えます。

 でもそれと引き換えに、ライオンには必ずエサを与えられ、野生のライオンよりも長生きできます。

 

 ぼくたちは国家を維持するために、学校で国家の概念を植えつけられます。

 社会に出れば朝から夜まで必死に働かなければいけません。

 そして、自らの手で国家=檻をひたすら強固にしていきます。

 昨日も書きましたが、資本主義は自己増殖のシステムです。利益が出れば投資され、さらに利益を生もうとします。そのプロセスのなかで技術は日進月歩で発展し、これだけ便利な社会になりました。これだけ強固な経済国になりました。

 

 ぼくたち日本人は、チューク州の人より不自由だしおそらく退屈な人生を送っています。でもその一方で、チューク州の人より物理的には豊かで長生きしています。

 

 

4 ぼくたちは自由を自発的に放棄している?

 僕は野生のライオンのほうがいいです。

 「日本は生きづらいなぁ」と思う人も自由な野生のライオンのほうがいいと思うでしょう。

 しかしそう思う人でも、自発的に自由を放棄しているかもしれません。

 

 少し前に、人工知能を搭載した監視カメラが防犯に効果的であることが実験で明らかになりました。

 店内で不審な動きをする客を人工知能が感知し、それを店員のスマホに連絡します。

 店員はその客に声かけをすることで、未然に盗難を防ぐことができたそうです。

 

 これはYahooニュースで見た記事なのですが、コメント欄は好意的な評価ばかりでした。

 

 そりゃあ犯罪は少ないほうがいいわけですから、ただの監視カメラよりも人工知能を搭載した監視カメラのほうがいいと思うわけです。

 でもそれによって、ぼくたちはより一層自由を放棄したことにならないでしょうか。

 

 ミシェル・フーコーを知っている人であれば、人工知能の搭載された監視カメラなんて最強のパノプティコンだと思うのではないですか。

 パノプティコンは一望監視装置と呼ばれる監獄システムで、監視塔から独房は見える一方、独房から監視塔のなかは見えないようになっています。

 監視塔に人がいなくても、独房の囚人は見張られているように感じます。だから自分で自分を律するようになります。

 

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http://www.keiomcc.net/faculty-blog/2014/05/post-3.より引用

 ただの監視カメラは人が監視するので犯罪者は「見ていないかも」と思うでしょうが、人工知能が搭載されている監視カメラだとそういうわけにはいきません。だから最強のパノプティコンです。

 

 犯罪は少ないほうがいい、長生きできるほうがいい、便利なほうがいいですよね。

資本主義はそういう方向へ国家をすすめます。

それはつまり檻が強固になっていくということであり、野生のライオンから動物園のライオンへと変化していくということです。

 

野生のライオンと動物園のライオン、あなたはどちらがいいですか?