考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門

 

 

著者の梶谷さんは、京大の教授で哲学対話を実践している。

 

梶谷さんによれば、哲学対話といっても内容は必ずしも哲学的である必要はない。

専門家や思想好きの人から「こんなの哲学じゃないよ」と言われることもあるという。

 

哲学対話とはどのようなもので、何のために行うのか。

哲学対話は、10~15人くらいが輪になって行う。

参加者に日常で疑問に思うことや気になることをあげてもらい、それをもとに参加者が自分の経験をもとに話をする。

 

哲学対話にはいくつかルールがある。

かいつまんであげると、

 

・べつに話さなくてもいい

・人の話を否定しない

・何を言ってもいい

・ただ聞いているだけでもいい

 

などなど。

 

この対話の目的は、自由になることだ。

ぼくたちは、意識的にせよ無意識にせよ、日常で多くのものごとにがんじがらめにされている。

学校に通う子どもたちであれば、先生の意向に沿ったり、友達との和を乱さないようにしなければならない。

会社であれば、上司に逆らってはいけない。

 

自由になるためには、自分を対象化しなければならない。つまり、今の自分がどのような状況に置かれているかを認識する必要がある。

 

梶谷さんの哲学の定義とは、「問う、考える、語る、聞く」。

自分が疑問に思うことを問い、それについて考える。

そして、対話をとおして人に語り、人の話を聞く。

そしてまた、自分の中で問いを深めていく。

 

さまざまな人と対話することで自分と他者の違いがはっきりし、自分のものの考え方や感じ方を知ることができる。

 

自分の立ち位置を知り対象化する。それが自由になるための最初の一歩だ。

 

哲学で大事なことは、分かることではなく、分からなくなることだ。

 

学校教育は分かることを目指すが、哲学では分からなくなることを目指す。

分からないことが増えるということは、問いが増えるということだから。

 

だから学校教育が目指すものと哲学対話が目指すものは正反対になるのである。

 

 

【感想】

 

梶谷さんの考え方に深く共感した。

 

学校でも会社でも議論・ディスカッションの重要性が叫ばれ、訓練の機会が設けられている。

 

たしかに議論は大事だと思う。

でも、個人的には対話のほうがもっと大事だと思う。

 

議論は自分の考えや意見を発し相手の主張よりも優位に立つことが目指される。

対話はそうではない。対話の目的は、勝ち負けをつけることではなく、お互いが自分自身を知り自由になることだ。

 

議論では相手の主張や意見を否定するが、哲学対話ではそんなことはしない。

自分の経験を語り、相手の経験を聞くことで自分の思考を知る。

 

分からないことは悪いことではなく、むしろいいことだ。

こういう認識を持つことから始めよう。