週刊文春オンラインの記事でこういうのがあった。
今から15年前、テレビ局が取材したニートの「働いたら負けかなと思ってる」という言葉が話題になった。
当時、日本国憲法にある勤労の義務を真っ向から否定する言葉として、この発言が注目を浴びた。
今から15年前はまだ、将来の安定や豊かさが信じられていた時代だったというのもあって、ニートは「穀つぶし」として否定的に受け取られた。
クレヨンしんちゃんの野原ひろしは、年収600万円で埼玉の郊外に家を持ち、子どもが2人いて犬も飼っている。これが「平凡」とされていた時代だった。
しかし今では年収300~400万円、あるいはそれ以下という人も珍しくない。ニートでは当然食っていけず、ちゃんと就職しても野原ひろしのような「平凡」になることすら困難になった。
ニートの名言「働いたら負けかなと思ってる」という言葉を笑うことができなくなっている。
こういう内容の記事だった。
僕にはよく分からないことが一つある。
現在は戦後最長の好景気だと言われているのに、どうして多くの人がこんなにも経済的に苦しんでいるんだ?
景気がいいなら、企業はもっと社員に給料をあげたらいいじゃないか。
以前はそうやってみんなが豊かになっていって、経済成長していったのではないか。
企業が稼いだ金はどこに行く?
上層部の懐か?あるいは内部留保?
最近経団連の会長が「終身雇用はもうできない」と言った。
若者の多くはそんなことにとっくに気づいているのだけど、これはもう「会社はいつでもあなたの首を切りますよ」と言っているのと同じだ。
会社は社員の生活を保障しないのに、社員は今までと同じように会社に忠誠を誓って一生懸命働けと言うのはおかしいのではないか。
ゆとり世代の若手社員は、飲み会に参加しないし、仕事よりもプライベートを優先するといって批判される。
でもこれは、会社が社員をまったく大事にしていないからではないのか。
恋愛でも結婚でも、自分を大事にしてくれる人のために頑張ろうと思う。
かつての会社はこれと同じで、会社は社員を家族のように大事に扱ったときく。
でも今はブラック企業ばかりだ。まるで暴力ばかりふるうDV野郎のようだ。
こんな状態なのに、会社のために頑張ろうと思う人がいるほうが不思議だ。給料も出ないのに飲み会に参加したり、プライベートよりも仕事を優先するなんてありえない。
記事の筆者は、「ネット上でおもちゃにされていたネタ発言が、令和の時代まで残らないことを祈るばかりである」として記事を結んでいる。
将来がどうなるかは分からないけど、「働いたら負けかなと思ってる」という言葉は今後さらに重たい意味を持つと思う。