スマホに不具合が起こって四苦八苦している師匠を見てガラケーでよかったとつくづく思う

 僕が出先から帰ってくると、師匠(75)はスマホに不具合が起こったらしく、問い合わせの電話をしていた。

 

 「なんかあったんですか?」

 「ん~ちょっとな、一部のアプリが起動せんのや」

 「へぇ」

 

 僕はごはんのセットをして、その後自室でパソコンをしていた。

 30分くらいして腹がへって台所に行くと、師匠はまだ問い合わせの電話をしていた。僕が夕飯の準備をしているあいだもずっと電話をしているが、相手も対応に困っているらしく、どうやら3人目の担当者に変わったようだった。師匠は憔悴してイライラしていた。

 

 僕一人飯を食べ、食べ終わった後も、師匠はまだ電話していた。

 都合1時間半、延々と電話している。それでもまだ解決していない。

 

 僕はこの光景を見て、ガラケーでよかったとつくづく思った。

 現在のガラケーはすでに4年目だが、一度も問題を起こしていない。

 その前は別のガラケーを6年使っていたが、そのガラケーも一度も問題を起こしていない。

 

 僕はおもちゃとしてのスマホを持っていて、カメラやミュージックプレイヤーなどとして使っている。

 このスマホ、まだ新しいのだがけっこう問題を起こす。急に動かなくなるし、充電ケーブルをさしたのにまったく充電されていないこともある。そんなとき、イライラしてくる。

 スマホガラケーより多くの機能があって便利かもしれない。

 だけどその便利さとひきかえに、イライラすることがある。

 

 昔はもっとゆったりしていたということを年長の人から聞く。

 人々があくせくし、心に余裕がなくなっているのは、こういうところに原因があるのかもしれない。