ふとした瞬間に世界と他者への関心が失われる

 

 誰しもふとした瞬間に「あ、自分もいつか死ぬんだな」とリアルに感じるわけだが、そういう感じで世界と他者への関心がどうでもよくなることが最近よくある。

 地球上で起こっているさまざまなこと、他人が何をしてどうなったのか、そういったすべてのことがほんとにどうでもよくなる。

 もともと同級生や友人、その他もろもろの人が、今何をやっているかとか年収はいくらかとか、結婚しているかとか、よくある噂話に興味も関心もなかったが、ここ最近はもっとどうでもよくなった。

 家の者の、どこどこのスーパーのこれが安いとか、犬が尿路結石を患ったとか、そういうのもどうでもいい。

 

 世界への関心は失われて、べつの世界への関心を持っている。こう書くとスピリチュアル?な感じがして好きではないが。

 プラトンは、魂にとって肉体は牢獄のようなもので、死んで肉体が朽ちると魂は解放されイデアの世界へと至ると述べた。

 自分も似たような考えを持っていて、最近は魂というのは一個の船で、肉体はいかりなのだと思うようになった。

 魂という船は今、肉体といういかりによってこの世界につなぎ留められている。いかりが朽ちれば、船はこの世界を出港するのだ。そして別の世界へと向かう。

 地球上には、日本や中国、アメリカ、ブラジルなどさまざまな世界が存在している。これと同じで、さまざまな世界が宇宙(適切な表現を思いつかなかったので仮に宇宙としておく)には同時並行している。つまりパラレルワールドである。

 われわれの魂は一時的にこの世界に肉体によってつなぎ留められているだけであって、死を迎えると別の世界へと移行するのだ。

 

 死を迎えると別の世界へと移行する。

 しかしこの世界には、死を経なくても別の世界へと移行することができる人がいる。そういう人たちが描いた世界は、物語や絵画、音楽、数式などさまざまなかたちで表現されている。その世界が魅力的であればあるほど、言葉を変えれば力をもっているほど、それを表現する人たちは天才と呼ばれるのだ。

 

 肉体をこの世界へとつなぎ留めた状態でべつの世界へ移行することは危険である。この世界へ帰ってこられなくなる可能性があるからだ。

 べつの世界へと移行することはある意味では簡単である。薬物を使えばいいのだ。そうすることで別の世界へトリップできる。

 薬物を使うというのはたとえて言うなら、片道切符しかないのにロープウェーを使って登山するようなものである。下山のルートを知らないからいつまでもこの世界に帰ってこられない。だから永遠に魂が別世界を漂っている。これがラリッた状態である。

 シャーマンなどの呪術師も同様に、薬物を使って魂を別世界にトリップさせるわけだが、彼らは下山のルートをちゃんと知っているので、この世界に戻ってこられる。

 呪術師は誰もがなれるわけではなく、見込まれた者が師とともに適切なトレーニングを行うことによって呪術師となるのである。

 

 どうして自分がこんなことを考えたのか分からない。

 分からないがいつのまにか考えていた。

 ただ、自分も魂を別世界へとトリップさせてみたいと思う。薬物を使ってではなく、自分の足で山を登り、そして山を下ってこられるようになりたい。肉体をこの世界へつなぎ留めたまま、いろんな世界を回遊したい。

 そして自分にはそれだけの力があると思っている。うぬぼれかもしれないが。

 村上春樹が29の歳に神宮球場で舞い降りたチャンスをつかんだように、自分自身もそのチャンスをつかみとりたいと思う。