最近の若い人たちが成長することに必死すぎる。 - Everything you've ever Dreamed
今の若者が成長に必死なのは仕方ないと思う - シロクマの屑籠
タイトルのとおり、上の記事の筆者は最近の若者(30代まで)はとにかく成長しようと必死すぎではないかと心配している。
成長することが目的化していて、効率を追い求めすぎではないかと。
下の記事の筆者はそれに対応して、若者が成長に必死になる原因を分析している。
僕も最近の若者の範囲に入っている。
大学生のころを振り返ってみると「リア充」という言葉が流行っていた。周りの大学生はみな手帳のスケジュールをすべて埋めることを目指していた。予定がたくさん埋まっている人ほど「リア充」なのだ。
「リア充」と同時に、「コスパ」という言葉も流行っていた。コストパフォーマンスの略だ。
大学に入って僕も周りの大学生と同じく、いろいろな経験をし見聞をひろめ成長したいと考えていた。それでいろいろなところに行ったり、人に出会ったりしていた。
僕も含めて多くの大学生が、ボッーとすることはコスパが悪い、とてももったいないと考えていた。
だけど学年が上がるにつれ、「じっくり考えることができていない」と悩むようになった。そのせいで虚無感に襲われるようになった。学問をしに大学に入ったのに、深く物事を考えることができていない自分に嫌気がさした。
そこからだったと思うけど、友達といっしょに行動するのは控えるようになり、家や大学の図書館に引きこもって本を読みさまざまな物事について考え始めるようになった。
夜に一人であてどもなく何時間も散歩して考え事をしはじめた。大学の周りをよく散歩していたのだが、大学に住むノラ猫と戯れながら何時間もボッーっと考えごとをしていた。それは至福の時間だった。
散歩したりボッーっとしたりするのは、何か目的があってのことではない。健康のために散歩していたわけではないし、何か面白いアイデアを思いつくためにボッーっと考えごとをしていたわけではない。その行為自体に僕は価値を見出していた。
成長したいと誰もが思うし、成長することはすばらしいことだ。それは否定されるべきことではない。
ただ、何もかもが成長、成長、成長のためとなると僕はすごく息苦しく感じてしまうのだ。
最近「ボーっと生きてんじゃねーよ!」が流行語になった。
一般的にボーっとすることは怠惰で生産性がないと考えられているし、実際にボーっとしていると注意される。べつに仕事中にボーっとしているわけではない。休みの日にボーっとしていると「だらだらするな」と言われるのだ。休みの日なのに。
僕はボーっとしててもいいじゃねぇかと思うんだけど、それでも周りに注意されると「自分はおかしいのか?」と思ってしまう。
何もしていない、ボーっとしているとなんか負い目を感じている自分がいる。
「これでいいのだ」という自信と、「これでいいのか」という不安を行ったり来たりしている。