今日は、美術手帖1993年11月号と1995年10月号です。
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1993年11月号では、アートとテクノロジーの関係の対談が収録されています。
茂登山清文さんと山口勝弘さんの対談です。
要約したのが以下の文章です。
芸術家というのは本来閉鎖的な環境のなかで作品をつくってきた。
作者と作品という閉じた関係があり、その自己完結した作品を社会に出す。そして既 存の価値(大学教授とか専門家)によって評価され、評価されたものだけがその後やっと一般に公開される。
しかし技術の発展によって、芸術家のその“聖域”にテクノロジーが介入し始めてきた。
これは現状を考えたら分かりやすいですね。
まったくの素人でも、こんな作品をつくりましたと言ってブログやyoutubeにアップできるようになりました。
これは革命的です。以前は、既存の価値によって認められた作品しか一般の目に触れることはなかったわけですから。
これはべつにアートの世界でなくても起こっていることですね。文章や音楽、その他もろもろ、アマチュアでも発表できるようになりました。
これによって何がもたらされたか。
・以前では質の担保されたものばかりが公開されていたが、誰でも公開できるように
なったことで質の低いものも出回るようになった
・しかし、今までになかった新しい価値を示す作品も生まれるようになった。
・閉鎖的な空間が開放的になったことで、観る者との相互影響のなかで作品をつくれる
ようになった
芸術家がどんなにテクノロジーを拒否しようと、それは社会に浸透していきます。
だから茂登山さんと山口さんは、アートで問題なのはテーマではなくてむしろ社会との距離ではないかといいます。
テレビの凋落が言われて久しいです。一方でyoutubeで食っていく人も出始めました。youtubeのほうが観る人とダイレクトにつながっています。テレビは一方通行です。
おそらく観る人は、作品製作のプロセスに何らかの形で参加できるメディアを選んでいくでしょう。自分も参加していると感じられるほうが楽しいですから。
だからこそテレビも、ツイッターなどのSNSと連動しはじめましたよね。
一方、映画はどうでしょうか。1995年10月号のなかで大林宣彦映画監督は「映画が見られなくなってきた」と言っています。
1995年といえば、windowsが発売されたころですが、このころから観る者と作る者の関係は明らかに変わっていったはずです。
SNSの影響によって『カメラを止めるな』が流行ったり、VFXという特殊技術によってより視覚効果を高めています。
ただ、映画はいまだ作者から観る者への一方通行です。
映画の未来を考えると、これは変えていくべきではないでしょうか。