以前ラジオを聴いていたら、芸人の又吉直樹さんが「本屋に通いつめていると読むべき本が光ってみえる」と言っていてリスナーもそれに同意していた。
この前図書館でボ~としていたら、目の前の本棚にあった一冊の本が目に入った。
『影とのたたかい ゲド戦記』という本だった。ゲド戦記よりもまず「影とのたたかい」というタイトルが目に入り「面白そうな本だ」と思って手にとると「ゲド戦記」とあったので、「ジブリの映画でやっていたやつか!」と思った。
- 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ルース・ロビンス,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/01/16
- メディア: 単行本
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この本は、ゲドという名の魔法使いが自らの魔法によって死の国から影を呼び出してしまい、旅をしながらその影とたたかっていく、というストーリー。影とは結局自分自身のことであり、ゲドは自己と戦い最後は一つになることで偉大な魔法使いになる。
子どものときから、自分はなにか声が聞えていた。その声は他者の声なんだけど、親とか友達といった他人の声ではなく、いうなれば内なる声といったものだった。
常に聞こえるのではなく、振り返れば人生の分岐点で聞えていたように思う。その声に自然に普通に聞き従い今まで生きてきた。
以前書いた「社会がどんどん便利になっていくけどそれは本当にいいことなのか」という問いも内なる声がもたらしたものだった。その問いを掘り下げていくことで、自分なりの、おそらく自分だけにしか見えない世界が見えた。それは『壺』というかたちとなった。
『壺』が完成してから、その内なる声は聞こえなくなった。今まで、物心がついてからというもの、自分はこの内なる声を人生の指針として生きてきたので、指針が失われてしまったように思えた。自分はどうしていいか分からず途方にくれた。何をめがけて生きていけばいいのだろうか。
そんななか、図書館で『影とのたたかい ゲド戦記』が目に映ったのである。これを読み終わって、朝通勤中の電車のなかでふと、「あぁ、内なる声が聞えなくなったのは、一つになったからだ」と思った。内なる声の主は、自らの影だったのだ。その影と自分は一つになったのだ。たぶん、心理学でいうところの「アイデンティティの安定」が訪れた。ようやく大人になったのかもしれない。
自分の世界解釈はようやく完成した。おそらく影とのつきあいはその世界解釈が完成するまでだったのだと今では思う。感覚としてこれ以上その世界解釈は大きくなりようがないから。そこまで、影が自分自身をひっぱってきたのだ。
不思議なことだけど、自分が無意識に必要としている本って、自分のアンテナがビビビッと反応するようになっている。本当に必要なタイミングで目に入って来る。そういうときの本って自分に大事な気づきを与えてくれる。
本好きなら同意してくれるだろう。